4(し)2(ぶ)8(や)という語呂合わせで誕生したこの渋谷のコンテンツですが、長い冬眠を経験してもこの日だけは大規模な活動に余念がありません。
いや、この日だけじゃなくても不定期でもちゃんと活動しろという声があちらこちらから聞こえてきそうですね♪(^^ゞ
はい、全くその通りですm(__)m 何のために構想から1年間という長い時間をかけて開設したのか、これじゃぁ面目丸つぶれといいますか全く意味をなさないですもんね☆
渋谷のコンテンツながら、対決と称してともにひそかに盛り上がっていた四谷の話題についても触れたことがありましたが、
対決とは言いながらもお互いのいいところを尊重しあうイベントだったというのもほのぼのしますよね☆
嫌というほど開設した日付のことは前面に押し出していますが、5年前の4月28日のいつにこのコーナーが生まれたのかちょっとは気になりませんか。
まぁ何せ1年間構想を練ってきた訳ですからねぇ、日付が変わった瞬間に更新ボタンを押そうとしたんですが、そこで思いとどまったんです。
「せっかくだったら4時28分まで待って更新しよう」ととっさに思いついて、思い立ったが早いか速それを実行してしまったんですぅ(@@)
「やっぱり1年間待ったんだから、とことんこの語呂合わせにこだわってやるー」という強い思いからだったのかもしれませんが、かなり前置きでそんな思い出話を語ったところでそろそろ本題へと入っていきましょう。
先ほどは東急の遺伝子は渋谷の様々なところで受け継がれているけれど、形としては営業を終了しても「東急百貨店」の屋号が渋谷ヒカリエで復活するという話題を取り上げました。
かつては東急とも激しいデッドヒートを繰り広げて渋谷の一等地とも言われてきたパルコにも近い宇田川町で営業してきた西部百貨店渋谷店が、58年の歴史に幕をおろすというのです(@@)
西武百貨店というと池袋の方が有名なんですが、その昔は渋谷の若者文化の後押しにも一役も二役も買ったといいます☆
そんな西部渋谷店が何故閉店の聞きに追い込まれてしまったのでしょうか。「復活するものあれば去る者もある」なんてよく言いますが、西部渋谷店にも結構思い出があるだけにちょっと寂しさすら覚えます!
今回は、西部渋谷店の特徴を紹介するとともに、そこに至ってしまった経緯を皆さんで探っていきましょう☆
西武百貨店渋谷店がオープンしたのは、1968年(昭和33年)4月のことでした!
堤清二さんという伝説的な経営者が率いてきたセゾングループの中でも、この西部渋谷店は若者の文化の発信拠点として次々と先進的なアイディアを打ち立ててきたという経緯を持っているんです!
その頃、渋谷の代名詞てき存在を確実にしてきた東急も次々と戦略や店舗の誘致なんかに乗り出していました!
高島屋とか三越みたいに長い歴史を受け継いできた百貨店とは違って、鉄道の会社が運営する百貨店というのはこのころはまだまだ庶民派でした。
それだけに、東急との差別化を図るためにも西武のブランドを消費者に伝えていかなければならないという使命があったようで、
若者文化の発信地として著名な渋谷で成功を収める必要があったみたいなんです(@@)
西武グループはハイブランドの展開を主軸に据えてなんとパリにオフィスを構え、イヴ・サンローランとかエルメスといった高級ブランドを展開したり、次々とファッションブランドの発掘に乗り出しました。
集客方法にしてもセゾングループはパルコ劇場の設立やマスメディアを使った方法を打ち出したのです。
スペイン坂スタジオという東京FM系列の放送局のサテライトスタジオの機能をもったスタジオも設立し、文化を発信していくことでマスメディアを勢いに載せて、情報が拡散することでの渋谷への集客を狙っていたといいます。
一方の東急グループも集客方法では負けていませんでした。東急沿線の商圏の広告媒体を広く使ったり、鉄道にも宣伝広告を広げて渋谷を訪れてもらおうという戦略を積極的に取り入れていたんです。
西武も東急も集客方法は全く逆の戦略を打ち出しながら、どうにかして若者文化の波に乗って少しでも渋谷に送客しようと熾烈な争いが繰り広げられていました。
この二社の血のにじむような奮闘や争いのことを、俗に「渋谷戦争」なんて呼ばれていたんですね♪
バブル期の時代のことですから、二社の異なる集客はそれはそれは両社とも全く譲らず一人でも多くの集客を得ようと必死でした。
西部渋谷店は当時の若者たちからもDCブランドブームの聖地としての支持は高く、しっかりと文化の波に乗った戦略は功を奏し始めた矢先のことでした。
言わずと知れたバブル崩壊、すなわちバブル期が終焉を迎え始めた頃少しずつ西武グループの戦略が旗色を悪くし始めたのです。
高級ブランドや流行のファッションブランドの発信という斬新なアイディアも、限度が過ぎてしまうと流行らなくなってしまうなんてことは結構ありますが、
ハイブランドの展開にこだわりすぎたがゆえに高級路線からの脱却をすることができなかったと言います。
西武百貨店の本店のある池袋と比べても、西部渋谷店の規模とか売り場の面積にしても池袋の方が優勢でしたが、
1日の渋谷駅の利用者数は池袋の1.2倍も多い290万人前後というすさまじい人数です。
渋谷駅の利用者数の方が多いにも関わらず、ブランドの流行をうまく取り込むことに苦戦を強いられ始めた西武グループはインバウンドの集客の強化を図ろうと、海外の高級ブランドの訴求力の強化とか
自動外貨両替機やフリーのWi-Fiの積極的な新設といった集客を次々と打ち出すものの、どれもこれも差別化といった部分から言っても乏しい方法であり、うまく集客につなげることができなくなってしまいました。
渋谷の超一等地に店を構えてきた西部渋谷店は徐々に集客力が弱まってしまった一方で、同じグループに属する渋谷パルコは大規模なリニューアルを施したり、「CYBERSPACE SHIBUYA」という
海外で人気を得ている日本のキャラクターグッズやゲーム南下を取り扱っている店舗を中心にインバウンドの取り込みを成功させたことで明暗が分かれる結果となってしまいました!
地権者との西武側の交渉もむなしく、2026年(令和8年)9月に西武百貨店の退去でバブル期の成功から抜けきることに欠けてしまった西部渋谷店の58年に渡る歴史に幕を下すことになりました。
カリスマ店員を据えてお客様と身近な距離感でコーディネートを図ったり、店員自身がモデル化を図るという新しい手法を東急は打ち出し、
コギャルの聖地としての地位を気づいた「SHIBUYA109」の誕生へと導き大成功を収め、現在でも109=若者ファッションの聖地としての支持は高いんだそうです。
若者文化の発信拠点と高級ブランドの聖地として力を居れてきた西部渋谷店の閉店に、西武百貨店を当時よく利用してきた方々からも閉店を惜しむ声も聞かれました。
本店である池袋店も規模を縮小しヨドバシカメラに買収されてしまったこともあり、本店が所在する池袋でも西部渋谷店の閉店に対する反響があると聞きます。
パルコとの明暗を分けた西部渋谷店の閉店は私自身も少し残念な気持ちがあることは事実です。
コロナ前後で展開されていた「偏愛飯食堂」という規格が行われていて、渋谷にちなんだ独自メニューが味わえたこともあり、これは結構ユニークな規格でした。
中でも、スクランブル交差点をもじった「スクランブル交差麺」という和洋折衷の食材を焼うどんのようなスタイルで混ぜ込んだ料理は衝撃的で、これを食べたいがためによく渋谷に通っていたこともありました。
そんなユニークな規格が展開されていた西武渋谷店も、「ついに閉店しちゃうのかー」と、このニュースを聞いてやや寂しい気持ちになったことはいうまでもありませんでした!
いかがでしたでしょうか。セゾングループと東急グループとの熾烈な争いがずっと繰り広げられていたことも結構衝撃的だったし、
何よりも集客方法も全く真逆の戦略を図っていたこともびっくりでしたよねぇ(@@)
確かに西武百貨店と言えば西武鉄道の駅に直結している池袋本店の方が有名ではありますが、西武渋谷店が当時の若者のファッションと高級ブランドの聖地だったというのも初耳でしたね♪
西武渋谷店はA館とB館とロフト館の3拠点で営業していましたが、西部渋谷店は閉店してもロフト館はまだ営業を続けるみたいですよ!
同じセゾングループに属するパルコとの明暗を分けてしまう結果が生まれていたというのも、ショッキングでした。
と同時に、戦略していくことの難しさや集客方法の差別化って苦戦を強いられることもあるってことを改めて思い知らされた話題でした。
渋谷の大規模再開発は2027年(令和9年)には大部分が完了をするということは聞いていますが、
「復活するものもあれば去ってしまうものもある」というリスクとは隣り合わせながらもきっと素晴らしい街に生まれ変わっていくことでしょう☆
これからも、そんな渋谷の新たな話題や新しい施設の開業情報なんかも出していきながら、今度こそはあまり放置せずに不定期ながらも渋谷のコンテンツを充実していきたいという思いは変わりません。
これからもこんなコンテンツではありますが、懲りずに引き続きよろしくお願いいたしますです、はいm(__)m