あの名曲の舞台とあれば聞こえ方も違ってきそう☆


9月にこのコーナーを更新してからというもの、10月はお休みしてしまいほんとすみませんでしたぁm(__)m
2008年(平成20年)の6月に、東京の最後の地下鉄と言われる東京メトロ副都心線が開業し、
池袋を介さなくても埼玉方面から渋谷まで、新宿を経由してつながったことは、特に関東地方では結構大きな話題になりました。
そのときからも、近い将来に実現する東急東横線との直通運転を行うことを見越して、渋谷駅から東横線の線路はすでに繋がっていたそうです!
このコーナーでも、近々触れようと考えているんですが、東横線の渋谷駅と言えば、あの蒲鉾型の屋根が特徴的な駅舎で、
85年間にわたって使用され続けてきた駅でしたが、2013年(平成25年)の3月に実現した副都心線との直通運転に当たって、その歴史を刻んできた渋谷駅は幕を下ろしました。
その渋谷駅を舞台に作られた楽曲と言えば、竹内まりやの「駅」という曲なんですが、そこにはいったいどんな誕生秘話があったのでしょうか。
そして、この曲を提供した中森明菜との解釈の違いも、結構話題になったと聞きます。 今回は、「駅」という楽曲に秘められた誕生秘話を皆さんと一緒に探っていくことにしましょう♪
そういえば、ここのところこのコーナーも楽曲取り上げシリーズのようになってきてしまってますが…!


まずは、竹内まりやの「駅」という曲がどんなものなのかという部分からひも解いて行かなければですね☆
この曲は竹内まりやの曲だと思っている人たちが大勢いらっしゃるかも知れませんが、もともとは1986年(昭和61年)に、
『CRIMSON』という中森明菜のアルバムのために提供した楽曲で、駅と言う場所を舞台にせつない男女のすれ違いの情景が描かれている楽曲です♪
それでなくても、駅という場所では様々な用途に応じたドラマが繰り広げられることが多いけれども、この曲にも二通りの解釈があるんだそうです♪
男女のすれ違いの情景を様々な視点で描かれているとあれば、それはいく通りもの物語は生まれるでしょうね☆
竹内まりや自身の解釈は、彼の方が“私だけを痛いほど愛してくれていた”と気づくというもので、
一方の中森明菜の解釈は真逆で、「彼のことを“私だけが痛いほど愛していた”と気づく。」というものだったそうです。
同じ歌詞でも、解釈が違えばそれぞれの感じ方も10人と色で面白みが生まれる1行かなと思っています♪
中森明菜に提供した翌年の1987年(昭和62年)に、竹内まりや自身の楽曲として16枚目のシングルでリリースされて、彼女の代表曲の一つとして現在に至るまで愛され続けている楽曲とも言えますね♪


「駅」という様々なドラマが交錯する場所ですから、この楽曲にも部隊が実在したんじゃないかと、結構論争になったこともあったんだそうです!
それが明らかになったのが、それこそ2013年(平成25年)の、副都心線と東横線が直通運転を始めて、副都心線の渋谷駅に東横線が乗り入れるようになったときでした。
竹内まりやの夫の山下達郎のラジオ番組「サンデー・ソング・ブック」で、全てが明らかになるときがきました。
「あの駅が移設されて寂しいから…かけて下さい」という1通のリクエストが番組に届いたんですが、それは紛れもなく竹内まりやからのりくえすとだったんです!
27年前にこの楽曲が生まれていますが、その舞台となったのが、今は無き東横線の渋谷駅だったんです。
自分がモデルとして書き上げた楽曲の舞台が無くなってしまうのって、どのような場面であってもそれは寂しいものがありますよね☆
思わずリクエストを送ってしまう気持ちも分かるし、その日の番組の最後に竹内まりやバージョンの「駅」が流れたんですが、
本人にとっては通学時にもよく使用していたという東横線の渋谷駅でしたから、特別な思い入れがこの楽曲にはあったんじゃないかなと思いながら、私自身も視聴していました。
ちょうど、この番組の二日前の3月15日に、当時2階の地上に遭った東横線の渋谷駅が85年にわたる歴史に幕を下ろして、
その3時間後には地上2階から渋谷ヒカリエの直下に位置する地下5階の副都心線の渋谷駅に移設されました。
現在、東横線の渋谷駅があった場所には「渋谷スクランブルスクエア」がそびえたち当時の面影は全くないですが、
あの辺りに行くと今にもあのマイナー調でありながらも力強く歌い上げる彼女の「駅」のメロディーが聞こえてくるかのような錯覚に陥りそうですね♪


いかがでしたでしょうか。かなり駆け足ではありましたが、彼女の楽曲に秘められた思いやその舞台になった駅が実在していたことなど、どれも新鮮に感じたなんて人もきっと多くいることでしょう!
今は無き東横線の渋谷駅が舞台になっていたという事実が明らかになるまでは、この情景は架空の駅で繰り広げられていたのかとか、
そもそもこの楽曲の舞台になった駅が本当に実在したのかしていないのかなど、まぁーそれはそれは様々な論争があったと聞いたことがあります☆
それでも、21世紀になるまで実在していた駅があったことなんて、つゆほども知られてなかったっていうのも、それはそれでものすごいことなのかも知れませんよね!
それがまさか、たくさんの思い出が交錯し東京を訪れる際には一度は足を踏み入れたことがある人たちも多いであろう渋谷駅がこの楽曲の舞台ということを知れば、
両方の楽曲の聞こえ方もさらに深みが増して三者三様違った聞こえ方がするというのも、新たな魅力の一つなのかも知れないですよね☆
現在の東横線の渋谷駅でも、期間限定でもいいからこの楽曲が発車メロディーとしてリバイバルされる日が来ないかなぁなんて、ちょっぴり期待を寄せている自分がいたりします、はい!
山下達郎の番組でも、そりゃぁー当然流れますよねこの楽曲が…!
思わず納得してしまいましたが、今回はちょっと違った視点での渋谷の話題でしたが、次回はそれこそ東横線の地上時代の渋谷駅にスポットを当てて、じっくり紹介してみたいなぁなんちゅうことを考えていますので、皆さんもぜひぜひ楽しみにしていてくださいねえ(^O^)


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