埼京線の駅は「南渋谷駅」とからかわれていた?


2012年(平成24年)に完成した渋谷ヒカリエを皮切りに、現在でも様々な再開発が至る所で行われていますが、
鉄道関係で言えば、85年間の歴史のある東急東横線の地上時代の渋谷駅が地下化され、副都心線との直通運転が始まったことは、結構大きな話題として取り上げられました。
そんな中でも、なかなかクローズアップされる話題が少なかったのが、JRの渋谷駅だったりするんですね!
それもそのはず、山手線と埼京線や湘南新宿ラインのホームは、下手をすれば駅一つ分くらい離れた位置にあったので、
JR同士の乗り換えはもちろん他の路線への乗り換えにもものすごく不便さを強いられていたんです!
今回から2回にわたって、JRの渋谷駅の歴史を簡単にひも解いていこうというシリーズをお送りしたいと思います☆
第1回目は、そんな陸の孤島のような扱いをされていた埼京線や湘南新宿ラインの渋谷駅の歴史を探求していきましょう☆


山手線は貨物列車との結節点だった?


まずは、渋谷駅云々の前に山手線の変遷をちょっくら説明しておかないと、JRの渋谷駅の歴史につながりにくいんですね。
そもそも、赤羽から品川間に鉄道が開業したのは明治時代もいいところの1885年(明治18年)のことで、
この路線開業と同じくして設置されたのが現在のJR渋谷駅なんです!
ただ、開業したこの駅はもともと現在の位置からおよそ350メートルも南側に位置していて、主に貨物列車の接続地点としての役割の方が大きかったんです!
先に開業していた品川線と呼ばれたこの路線は新橋を起点に南側に延びていた東海道線と、上野駅を起点に北に延びる東北本線や高崎線を接続させて、
この区間で貨物列車を直通運転させるという目的で作られたのが、山手線の前身だったんですね。
そして、だいぶ下った1903年(明治36年)に田端から池袋間の開業が加わって、当時ターミナルとしていた田端駅で常磐線とも接続することができたので、
様々な方面からの貨物列車の結節点としての役割が強かったのが、当時の山手線ということになるんですね。


東急東横線が入り組んでいたことで限られたスペースの使用は難航


それからほどなくして、山手線の渋谷駅は東横線のすぐ隣に建設されたんですが、渋谷の特徴的なすり鉢状の地形の上に限られたスペースしか取れなかったので、
山手線の渋谷駅は池袋方面の外回りと品川方面の内回りは片側のホーム幅しかスペースが取れず、やむなく別々のホームにせざるを得なかったんでした。
1996年(平成8年)、埼京線が恵比寿まで延伸することになり新たな渋谷駅を作ることになったんですが、すぐ隣には東横線が走っておりスペースを確保することができなかったんです!
そこで、いちばん最初に使用していた渋谷駅の跡地を利用して埼京線のホームとして運用することになったため、
利便性とは程遠い歴史を歩むことになってしまったという、複雑な理由が絡むことになります!
この背景が、埼京線のホームがしょっちゅう「南渋谷駅」なんて揶揄されるいちばんの原因だったんです♪(TT)
山手線から埼京線に乗りかえようとすると、徒歩だけで10分以上もかかることは日常茶飯事であり、
渋谷駅で乗り換えのために利用する人は非常に少なかったと言います。
となりの恵比寿駅や新宿駅で山手線に流れる人が多かったので常に陸の孤島かしており、南渋谷と呼ばれても無理もなかったじょうたいだったんですね!
中央口やハチ公口といった主要な出口も非常に遠かったので、他の路線への乗り換えもそれはそれは不便なものでした。
こんなふうだったからか、東横線の地上時代の渋谷駅が役目を終える時には大変惜しまれたと言いますが、
埼京線のホームが2020年(令和2年)に現在の位置に移転して山手線と並列化された時には、惜しむどころか新しいホームによる利便性向上に歓迎の声が多かったという、何とも皮肉な結果を生んでしまいました!(苦笑)


24年の時を経て利便性の大きな進歩


東横線の地上時代の渋谷駅としての役目を終え、その跡地には渋谷エリアではもっとも高い「渋谷スクランブルスクエア」がそびえたち、
東急プラザ渋谷の復活とともに完成した渋谷ストリーム等に生まれ変わりました。
そして、これまでどうやっても不可能だった埼京線ホームとの並列化も、跡地を活用してついに実現できることになり、
5月の29日・30日・31日と3日間にわたる大規模な工事を終えて、6月1日からついに埼京線・湘南新宿ラインのホームが山手線ホームと並んだのです!
渋谷区民はもちろんのこと、おそらく渋谷駅の利用者が長きにわたって臨んでいたことが、24年という四半世紀を経て叶えられたことになりますね☆
これまで使用していたホームは当然閉鎖していますが、埼京線が延伸されたとき位新設された新南口や中央口との連絡通路として現在は使用されています。
これによって、主要な出口へのアクセスが大きく向上しただけでなく、他の地下鉄路線や私鉄路線の乗り換えも格段にしやすくなり、大きな一歩を遂げたといっても過言ではないでしょう。


いかがでしたでしょうか。本当に駆け足ではありますが、埼京線ホームの歴史と変遷を見てきました。
96年から2020年5月28日まで運用されていた埼京線ホームは、最初に渋谷駅がせっちされていた場所の再利用だったことも分かりましたし、
そもそも山手線が貨物列車との接続を担うジャンクションのような役割を果たしていたというのも、びっくりでした!
まだまだ再開発は続いていきますが、山手線と埼京線の並列化は、様々なメリットを生み出しましたし、利便性向上でも大きな進歩を遂げました!
次回は、これまで別々に分かれていた山手線ホームがついに生まれ変わったというお話です!
これもようやく同じホームでの乗り換えが可能になったものですが、そんな背景もいろいろ紹介していきたいと考えていますので、どうぞお楽しみにーー(^O^)



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