☆「8の次は7?金沢で生まれ半世紀の歴史を刻んできた第7ギョーザって?」☆


金沢は海も山も存在しているということもあってか、新鮮なお刺身はもちろんのこと加賀野菜に代表されるご当地食材が多いのも特徴の一つだと言われているんです!
このコーナーでも紹介した金沢カレーとか八番らーめんといったように、国民食一つにとっても様々な地域でアレンジされそれぞれの食し方があるのも、とても魅力的だと思いませんか?
ラーメンのお供としても、また居酒屋さんの一品メニューでも、果ては冷凍食品に至るまでのメニューといえば餃子だと思いますが、
金沢でも地元の方はもちろんのこと多くの観光客にも愛され独自に食されている餃子があるんですよ(@@)
前回のコーナーの占めでも「『8の次は7か?』とからかわれそう」と触れましたが、その名も「第7ギョーザ」というんです!
「餃子」ではなくカタカナで「ギョーザ」としているところも何だかポイント高そうですよね☆
今回は、そんな第7ギョーザの歴史と「第7ギョーザの店」という部分についてもスポットを当ててみましょう。なんだかお腹がグーグー鳴ってしまいそう(^O^)


まずは第7ギョーザの基本編として、このギョーザがどのような経緯で誕生したのか、歴史的に紐解いていくことにしましょうか☆
「第7」ってことは、当然第1からお店として存在していたって可能性も往々にしてありそうですしね☆
第7ギョーザの始まりというのは、半世紀以上も前の1965年(昭和40年)と言うから、50年以上もある歴史を刻んできたモノなんです。
当時満州で従軍していた柏野幸一さんを始めとした柏野一族が、金沢でのれん分けをしながらギョーザのお店を開いていたという特徴が、現在の第7ギョーザに繋がっていくんですね☆
もともとは前田家のご隠居場として鎮座していた金沢の鹿鳴館でもあった金谷館の出身でもあった柏野幸一さんが満州で従軍していたときに、
九州の久留米出身の柏野辰子さんと戦時中に出会い、満州で覚えた餃子が現在の第7ギョーザのルーツになったという説が雄略なんだそうですよ☆
1965年(昭和40年)に、最初のギョーザの店として金沢で操業したときは単なる「ギョーザの店」という実に分かり易い名前だったんです♪
柏野幸一さんは昭和の初期から裕福な過程で育ったということもあってか、たとえばハンチングハットをかぶった姿で颯爽と自転車で登場していたようなハイカラな人だったんだそうですよ☆
だからなのかも知れないですが、餃子ではなくてカタカナで「ギョーザ」としたのも、そういう粋な気持ちが込められていたんではないかという説もあるんだとか…!


それらのお店ののれん分けや系図はかなり複雑であり、これをしっかりと伝えようとするとこれだけのコーナーを作らなければいけないほど膨大になってしまうためやむなく割愛しますが、
柏野幸一さんと、柏野辰子さんが始めた「ギョーザの店」はその後家族代々にも受け継がれていき、様々なのれん分けを経て市内の各地で「ギョーザの店」が存在していたんですね。
現在のお店が7番目となるところから、「第7ギョーザ」と呼ばれていて、金沢市民の間では知らない人はいないくらい根付いたご当地グルメの一つなんです☆
ちなみにではありますが、「第7ギョーザ」の数字の表記は漢数字ではなく三洋数字の7となっているのにも理由があるんです♪ 漢数字の七は「亡」という文字に似ているということもあり縁起が良くないということで、数字の7となったんです。
金沢市民はもとより、前回取り上げた八番らーめん同様「秘密の県民SHOW!」でこちらのお店の歴史や特徴を何度も取り上げていたからか、
全国的にも知られることとなり、現在でも平日・土日祝日関係なく毎日繁盛しているみたいですよ(^O^)


ざっくりとではあるけれど、第7ギョーザの歴史が分かったところで、実際の店舗の概要とか特徴や看板メニューの紹介もありますので、もう少しだけお付き合いくださいませませm(__)m
「第7ギョーザの店」は現在は「金沢市もりの里」というちょっとユニークな住所なんですが、その前は石引長に小立野店として存在していたんです。
現在のお店はまるで宿泊施設かのような巨大な店舗で、1階は厨房を取り囲むような大きなこの字カウンターとテーブル席、2階は1時間300円で利用できる優良個室、
そして3階にも団体で利用できるような大広間まで備わっていて、200人を超えるくらいの人数が収容できるようになっているにも関わらず、毎日行列ができるほどの人気店舗なんですね☆
そして、このお店の看板メニューとして名高い餃子が、「ホワイトギョーザ」と呼ばれる俵型の大きめのもちもち餃子なんです。
玉ねぎやキャベツといった約40種類前後のグ材や調味料を居れたタネを、アッツアツのお湯に入れて煮焼きし、
そこへ豪快に大量の油を投入し、水分を飛ばしながら十数分蒸し焼きにするのが、美味しさの秘密なんだそうですよ☆
こうすることで外はカリカリ(というか「ゴリゴリ」という触感の方が近いかも)で、それでいてもちもちとした触感が生まれるんです☆
中身も結構な勢いでアツアツなので火傷にも要注意なんですが、それでもふつうの餃子よりも一つが大きいので、ものすごく田部でのある一品です!
休日には2万個近くも出るという超看板メニューで、平日ですら1万個近くも売れるというからびっくりですよね(@@) ここまで来ると、お化けメニューかも知れないです!(笑)


ホワイトギョーザの食べ方も人それぞれに個性が出ると言われているそうなんですが、
醤油とお酢の割合はだいたい同じでも、ラー油をたっぷり投入する人や唐辛子を並々入れる人もいるそうです。
中身が半端なく暑いので、真ん中の部分をお箸で少し割って覚まして食べるという食べ方もあるんですが、私自身が超がなん十個もつくほどの猫舌なので、この方法が会ってありがたかったです!(ほっ)
外のかりかりの皮も厚くてそこに内包された蒸し焼き状態のタネとの相性は絶妙で、数十種類の野菜の旨味もたっぷり味わえるので、
完全栄養食と言われている餃子の中でも最高峰且つヘルシーメニューと言っても過言ではないでしょう☆
ほのかに来る苦味も病みつきになるほど忘れられない美味しさで、単品でも定食でも10個入っているので、これだけでもお腹がぱんぱんに膨れそうです☆
私自身もこのギョーザを味わいたくて食べに行ったことがあったんですが、実際には本当にお腹がいっぱいでしばらくは動けないほどでしたが、本当に癖になる美味しさでした!
市街地からは少し離れているにも関わらず、カップルやファミリー層のお客様や近くに金沢大学があるからか学生さんの利用も本当に多くて、様々な層のお客様でにぎわっていますよ☆


いかがでしたでしょうか。柏野一族が築き、満州で覚えた餃子を金沢に広め、のれん分けをして様々なギョーザの店を営業していたことが、第7ギョーザのルーツだったんですね(@@)
第7ギョーザが漢数字だと「亡」に形が似てることで縁起が良くないという理由も、納得でしたね☆
実は、このホワイトギョーザは登録商標であって、千葉県の野田市が本部なんだそうです!
本部の店主であった水谷さんという人が、中国人の白福寿さんという方に教わった餃子ということで、名字の「白」を問って「ホワイトギョーザ」になったなんて説もあるんですよね♪
今や金沢のご当地グルメとしてしっかりその地位は気づいています。
皆さんも金沢を訪れた際には、ぜひこのギョーザを味わってほしいなぁと心から願っています☆本当に病みつきになるくらいはまりますよ☆
次回は、再び観光シリーズにスポットを当てて、すぐにでも行きたくなるような観光地を紹介していきたいと考えていますので、どうぞそちらもお楽しみにーーー(^O^)




埼玉県エリアへジャンプ!

「来てみまっし!金沢」へ舞い戻る

トップページへ戻る