第2部、茨城県の小川町


 

さて、この特集の第2部は、茨城編の小川町ということで、ここではどんな特色があってまたどんな土地柄に出会えるでしょうかねえ?楽しみですねえ☆えっ?そんなに楽しみじゃないって?まあまあそう言わずに。
それじゃあ、栃木の小川町から電車ですいぃーっっと都心へ戻ってから、いざ茨城へ向けて出発☆。


 

茨城の小川町ってどんな所?


  ここは、茨城県のほぼ中央部の霞ヶ浦の北端に位置していて、江戸時代から大正時代にかけて「水運の町」として栄えた所なんだよ。


 

ここの人口ももしかして例外のデータ?


 いやいや、この町の人口は、2005年の2月現在で約2万人だから、ここはもうすぐ市になりそうだと思ってるのは私だけかなあ。(笑い)
でも、もしも本当にそう成ったら、「小川市」とかなるのかなあ。でも、それってかなり不思議な気分というか、この名前 町民がぜったい反対するでしょうね☆☆


 

もっと詳しく知りたいなぁー?


 あらあら、最近歴史云々まで探るようになりましたね。(笑い)それじゃあここで、ちょっと皆さんで歴史のお勉強、Ogawa history!。
まず、この町名の由来だけれど、時は鎌倉時代まで遡ります。この辺りは、その頃は「常陸国」と呼ばれていて、その常陸国の南部の総地頭、下河辺政義(しもかわべまさよし)の長子であった政平が地頭となって、小河二郎と称して小河(小川)に築城したことが、この町名の由来だと言われています。
 江戸時代から「水運の町」として栄えたこの町も、陸上交通の発展により徐々にその姿を変えてゆき、現在の「小川町」となったのは昭和29年頃のことです。
って、ちょっと難しかったね!(苦笑)分かりにくくてごめんなさいm(__)m 


有名な物や言い伝えなんかはあるのかな?


 そうだねえ。小川町と言ったら、「河童伝説」というのが有名で、忘れちゃいけない部分でもあるかもね。
その昔、殿様の馬の尻尾を引っ張る河童にきずき、思わずその手を切り落とされてしまった河童を憐れに思ってその手を奉ったとされている神社が、小川町を代表する「手接神社(てつぎ神社)」って言うんだよ。
もちろん、小川町の名所の1つでもあるのは言うまでも無いけれど、今でもその河童の手形に手を合わせると、手の病気が直るという言い伝えが残っているよ。小川町に来たら、まずここを訪れてみよう。


「水運の町」でもあり、筑波山を望む自然豊かな町、小川町。お届けした情報量は少なくて申し訳ないですが、特に茨城の小川町の場合は実際に見て触れて感じてみるともっとよく分かりますよ。ホームページにはビデオクリップもあり、ますます身近に感じられるでしょう。


 

 「ええっ?まだ続くのかよ!」なんて、そんな悲しい意見やブーイングはできればしないで欲しいなあ☆(苦笑)あともう一息ですから、もうちょっと頑張って付いてきてください。
 最終章「第3部」では、和紙の里でもある埼玉県の小川町ですよ。たぶんですが、皆さんにいちばん近い小川町と言えると思います。


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