今月の市町村


 

2011年のカレンダーも、残すはあと1枚。ついに最後の月である12月に今年も突入してしまいましたね!
一時期これが当たり前というかのごとく季節の前倒し傾向があちこちで見られましたけど、最近では
それもようやく落ち着いてきているような感じがするのは気のせいではないですよね!
その証拠に、以前は11月に入ったとたんクリスマスソングが流れ出していた光景に何度か出くわしました。
さすがに11月からクリスマスソングはちょっとねえ。ありがたみも失せてしまうってもんですよ!(苦笑)
年末商戦ならばまだ分かりますけど。皆さんは、今年はどんな年でしたか?東日本大震災の被災地の方々にとっては少し厳しい季節だと思いますが、
来る2012年が既望にあふれる年になりますように!
自分も、思わず今年1年を振り返ってみるというなんとも気の早いことをしてますが、とにかく今年は収穫の多い1年だなあと思っています。
適度に早めに準備をして、来る2012年を迎えましょうね!


 さて、これまで12月といえばほとんどの確立で群馬県を訪れたことが何年か続きましたが、今年ついにその法則(?)を破る時がきたのです☆ 雪国は雪国なんですけど、自分も実際に北陸を訪れる機会があったので、このコラムでも初めて北陸地方を旅してみようと思い立ちました。
 NACKN いやぁーさすがは12月。ほぉーんにぃ寒いぞいねぇー!
 AMATY は、ハイっ?いきなりなんですかい?いったいそれはどこの言葉ですかいな?
 NACKN うぅーん、これはどうやら金沢弁がやて!ちょっこし勉強しとうたんやけど、Amatyも金沢弁しゃべりまっしよ!
 AMATY なぁん金沢弁あまりよく分からんだねぇ!って、あぁーつられちゃったじゃないかぁ☆(笑い)それにしても、NACKnうまいねえ。
 NACKN いやいや、ホームページで調べながらしゃべっていたんだけど、ほんとに難しいねぇ!
 AMATY あぁーびっくりした。NACKNが北陸の人になっちゃったかと思った!
ということで、今回は北陸地方の中心地の一つ、石川県の金沢市を訪れてみたいと思います。
それも、マイタウンコラムでは初めての試みとして、2ヶ月間に渡って金沢をとことん特集しちゃおうという企画ですよ!
金沢は、北陸で十数年間憧れていた地でした。それが、今年の11月にひょんなことからその憧れの地を訪れる機会にめぐまれ、
興奮冷めやらぬうちに実際のレポートを織り交ぜつつ特集に踏み切ったというわけです。
 NACKN やったぁ、旅行だ旅行だぁ!そうか、そんなに憧れの地だったのかぁ!第1回目は、地理や民話などから紐解く金沢の基礎知識編だね!
 AMATY あらぁ舞い上がっちゃってますね。ところで、電車とか飛行機などいろいろな経路があるけれど、今回はどうやって行くんじゃい?
 NACKN うぅんやっぱりねえ、じっくりと車窓からの景色を楽しむには、夜行バスしかないでしょう!
電車も途中の越後湯沢で乗り換えするし、飛行機に乗るんでも行くまでが大変そうだしねえ!けど、2014年には金沢まで
長野新幹線が延伸する予定だし、そうしたら電車でも乗り換えなしで行けるよね!
 AMATY いやぁーほんとNACKNの鉄道解説記は圧巻だね☆夜行バス、時間はかかるけど
遠くまで来たっていう達成感みたいなのが味わえるところに魅力があるね!
 NACKN そうそう、それがまたいいんだよね。あれれ?なにやらお筝のしらべが…。しかも、金沢駅のホームの方から聞こえてくるけど…!


 

金沢市ってどの辺りなんだろう?


 金沢市は、石川県のほぼ中央に位置していて、ご存知石川県の県庁所在地としても知られ、北陸はもとより日本でも有数の観光都市なんだよ!
加賀百万石の城下町として栄え、江戸・大坂・京の三都に次いで名古屋に並ぶ大都市として歩んできた所でもあるんだよ!
みんなの中には地理の時間などでは中部地方って教わった人も多いかも知れないけれど、
ここは北陸地方や北信越地方に区分されることもあるんだって。
ここと両隣の富山県の富山市、福井県福井市とも連携していて、俗に「北陸3県」や、「北陸の管轄地」と称されることもしばしばあるよ!  日本三名園の一つとして有名な「兼六園」を初め、この市の代表的な郷土料理の「治部煮」など、実に見所満載だね☆


 

へぇー、県庁所在地としての金沢しか知らなかったけど、「加賀藩」というのは習ったことあるなあ。他には、どんな特徴を持ってるんだろう?


 なんだ?今日はまたずいぶんとシンプルだねえ☆それじゃ、ここでいつものように簡単に歴史を追っていくことにしようかね!
城下町として栄えてきた金沢は、江戸時代から美術や工芸に親しむ文化が根付いていて、 それらが都市文化として花開いたのもこの頃だったんだよ!
現在もその勢いを衰えさせることなく、当時の文化が随所に色濃く残されているよ!
第二次世界大戦でもこの地は空襲や戦災を免れた数少ない地域で、 古きよき町並みや歴史的風情なども残っていることから、
終戦間もない頃には国際交流を目的に相次いで来日するアメリカ市民の滞在先としても たびたび選ばれた経緯もあり、国際都市としての顔も持っていたよ!


 

また、この市から周辺市町村へ広がっている金沢平野は、明治時代の中期には他の地方に先駆けて近代的な耕地の整理が行われていて、
サツマイモや蓮根に代表される加賀野菜の生産地として、また北陸地方の他地域と並んでコシヒカリの主要産地なんだよ。


 

さらに、北前船の寄港地であった大野港等からら整備された金沢港を拠点に、水産業もものすごく盛んだから、 生のお魚はこの地方ならでわの味と断言できるね!


 

ヒャァーほんとにすごいよね。金沢っていろんな個性がうまく絡み合ってて、北陸地方でもスター的存在だったんだね!ところで、この金沢の名前にはどんな由来があるんだろう?


 そうそう、市町村の由来ってそれを知るだけでそれぞれの地域のことが垣間見えてくるっていうもんね☆
金沢って実に情緒的で柔らかな響きを持った名前だけれど、この名前にはこんな民話が伝えられているよ!


 

ずっと昔、加賀の国は山科の里という所に、貧乏ながら働き者の藤五郎という男が住んでいたげんろ。
の山へ出かけて山いもを掘って暮らしていたので、いもほり藤五郎と親しまれとうたじゃて!
ほんで、ある日いつものように山へ出かけて芋を掘っていたところ、芋のひげんとこに見慣れない物が付いとって、
それを不思議に思った藤五郎は近くの泉でじゃぶじゃぶとお芋を洗っとうたら、きらりと光る黄金の粒が沈んでいくのが見えたそうじゃ!
そう、これは砂金だったのです。藤五郎はこの砂金で山科の長者と呼ばれるようになったげんぶ!


 

泉でお芋を洗って砂金が出たことから「金洗いの沢」と呼ばれ、金洗いの沢が転じて金沢となったという説が非常に有力で、
この民話が金沢の地名のおこりだと今なお語り継がれているんだよ!
ちなみに、この黄金の泉は兼六園の南側にある「金城霊沢」(カネシロレイタク)なんだそうだよ!
金城霊沢だなんて、これだけでも金沢の名前の元が伺えるよね!


 

ということで、第1回目は歴史と民話で紐解く金沢の基礎知識と題してお送りしてきましたが、いかがでしたでしょうか?
中学生の頃、県庁所在地という知識しかなかった金沢が、実はこんなにも魅力的で上品さと風情も併せ持った都市で、
新たなる金沢の魅力に触れたような感覚でした!
上で知識も浅く不慣れな金沢弁に置き換えながら紹介した「いもほり藤五郎」の民話以外にも、
この地には他にも古きよき時代と文化が伝わる興味深い民話が沢山伝わっています。
金沢市のホームページ「いいねっと金沢」の中に、金沢の民話と伝説 という面白いページがありますので、こちらでじっくりと読んでいくまっしね☆!
第2回目は、来年1月1日に更新されます。今度は、文化と観光地を中心にピックアップしながら
金沢市を巡っていきますので、どうぞお楽しみにぃ!



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