今月の市町村


 

6月に入り、2011年もいよいよ折り返し地点に指しかかろうとしています。
いつもだったら、「そろそろ入梅でじめじめする季節で嫌だなあ!」とか書いているんですが、今年はどうでしょう!
関東含め、全国的に2週間以上も前に入梅してしまったじゃないですかぁ。(苦笑)いったいどうなってんの地球さんと叫びたくなりますよほんと!
先日の日経新聞のコラムを見ていたところ、梅雨には2種類のタイプがあるそ うで、
いつまでもしとしとと降り続く様を女性型といい、あるとき突然嵐のよ うに降って
その後に一変して晴れる様を男性型と表現するという面白い記事に 出会いました。
これって、台風にもいえるんじゃないかなあとか勝手に思っているのは自分だけでしょうか?
今年は、どちらのタイプの梅雨でしょうかねえ。
結構憂鬱に取られがちな雨も、音楽の手にかかれば、ASKAの「はじまりはいつも雨」とか、ビリー・J・トーマスの「雨にぬれても」などなど、
すごくいい曲が沢山あるし、すてきな感じですよね。

 

そういえば、過去のマイタウンコラムを整理してたところ、6月のほとんどは東京都が多かったという統計にたどり着いたんですよ!
別に意識していたわけじゃなくてたまたまだったんですが、都内を知りたいって意見をいただくこともあるんですよね。
 NACKN へぇー、そんな話初耳だったわぁ。ほんとにそんなことってあったのかなあ?
 AMATY ちょっと待って!NACKN、入ってくるなりなんちゅうことをいきなり言うんですかぁ!
 NACKN いやぁーだって、そんな話聞いたことなかったんだもん!あ、その前に 私が聞こうとしていなかっただけなのかなあ?
 AMATY ん?なんだ?最近やけに素直じゃないのぉ。
 NACKN 前に、「一歩下がって落ち着いて考えろ!」ってかつを入れられたのが大きかったんだよね。けど、今回の発言はそれを忘れてしまってたな。
初心忘れるべからずだね!
 AMATY あ、あれっ!自分でまとめちゃったよ…!


 

ということで、今回は…と言いましょうか今回も「6月は都内を訪ねる」の規則にのっとって、
23区の中でも驚異的な発展を見せたと言われる、板橋区を取り上げてみましょう。
これ、本当は去年の2月に取り上げる予定だったんですが…。
 NACKN ん?なんだか今回はなにかなぞめいた文章が勃発してるけど…、まあいいや!
板橋と言っても、たっくさん鉄道があるけれど、どの辺りに行こうか?
 AMATY そうだねえ、高島平辺りはこの区を発展させる大きなポイントになってるし、ここがいいんじゃないの!
 NACKN オッシャ!それだったら、巣鴨駅から都営三田線に乗れば高島平まで一本だから、楽チンだぁ!
 AMATY いやぁー、いつもながら歩く鉄道時点はずっと健在だね!!


 

板橋区はどの辺りにあるんだろう?


 板橋区は、東京23区の中では西部に区分される所で、区のほとんどが市街地として機能しているんだよ!
都心よりも郊外でありながら、交通の利便性がとても高い区としても注目され、人口増加がもっとも著しい所という特徴も持っているよ!
大昔は、「武蔵国豊嶋郡」に区分されていたんだって。。それに、このコラムでもだいぶ前に紹介したことのある練馬区も、
当時は板橋区として機能していたというんだから、区に歴史ありだね!


 

ほんと板橋区は鉄道が多いってイメージがあるね。それはそうと、練馬区も昔は板橋区だったって、どういうことなんだろう?


 なんだか最近、この手の質問が多様化してきたねえ!(笑い)これは、いつものように歴史探訪で追っていきましょうか!
時はぐぐぅーんと遡って、平安時代へ。このころに存在していた、現在の練馬区と板橋区の辺りを指す「板橋村」が、板橋区の原型とされています。
1932(昭和7)年10月1日、当時の東京府の9市町村の編入合併によって登場したのが、板橋区だよ。
ちなみに、区名の由来は、平安時代の石神井川にかけられていた橋が非情に珍しく、それがそのまま区名になったという説が有力みたいだよ。
当時は、板張りの橋どころか、橋事態がすごく珍しかった頃だったから、この影響力たるやものすごいものだったんだろうね!


 また、この辺り一体は戦時中は数十回の空襲の直撃を受けたとも伝えられており、 そんな最中に東京都政が施行されたのは広く知られていることだけれど、
戦後の混乱も落ち着いてきた1947(昭和22)年4月に、現在の23区の一つとして再スタートを切り、
同年の8月に区民の利便性を考慮する形で、区の南西部を練馬区として分離して、練馬区の誕生に繋がったという経緯があるんだよ☆


 

ものすごい駆け足ではしおって歴史の一部を切り取ってきたけれど、板橋区の歩みがなかったら現在の板橋区はおろか、
練馬区も影や形すらなかったかも知れないよね♪
同様に、練馬区民の中にも昔はこの辺りも板橋区だったんだよと言う人もそこそこ多いのも事実なんだよね!


 

なるほどぉー!いやいやいろんな特徴や生い立ちが分かって楽しかったよ!ところで、高島平という地区が板橋の発展のポイントって?


 そうなんだよ。鉄道や道路網を中心に、戦後の板橋は驚異的な発展を遂げてきたよ!
板橋は、明治期より軍需中心であった工業から、戦後を境に精密機械を主とした平和産業が盛んになっていった区だから、
高島平地区の高島平団地出現もこれらの効果を受けての建設だったんだって。
これを皮切りに高層住宅なども相次いで建設され、東部東上線を中心とした鉄道網や中仙道や環7に代表される道路網に至るまで、
戦後の板橋は23区でも類を見ないほどの発展を遂げてきた区としても広く認知されているんだって。


 特に、鉄道においては、その効果が顕著に現れていて、昭和50年代・60年代には延伸開業が相次ぎ、
東武東上線の他に東京メトロ有楽町線が和光市まで延伸し、成増や赤塚地区への利便性が拡大し、
高島平地区から巣鴨までだった三田線も三田・目黒まで延伸し東急目黒線と相互乗り入れするなど、
交通機関でも都心と肩を並べるほどの充実ぶりを見せているね♪


 

区民とともに歩む歴史を秘めた平和産業都市、板橋区。
ところで、板橋区も練馬区同様に、冬は都心よりも気温がやや低めなんだけれども、夏はヒートアイランド現象の効果をもろに受けて、
平年よりは3・4度ほど高くなる現象があるよ。
夏が冷夏なのはあまりにも気持ち悪いですが、だからといって猛暑やら酷暑になるのもちょっと勘弁願いたいものですね!
板橋区に関する詳しい内容は、板橋区ホームページ へどうぞ。
区のプロフィールなどがちょっと分かりにくい位置にあるものの、行政の色濃く現れているページです。



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