今月の市町村その2


 

えぇー、その2への移動の皆さんほんとにお疲れ様ですm(__)m 
 さて、岩槻人形の歴史にたっぷり触れた後は、東京の3大都市の代表格とも言える、新宿区にひとっとびしてみましょう♪
新宿区の前身となった市町村も同時に登場するよ!岩槻からだとやはりいったん大宮に戻って、そこから湘南新宿ラインでヒュイィーっと♪
最近この電車よく登場しますねえ☆これができたおかげで、横浜方面にも気軽に出られるようになったので、本当にありがたいありがたい!


 

新宿区は東京23区のほぼ中心にあるんだよね?


 そうそう、位置的にも23区のほぼ中央であると同時に、国の機関のほとんどがこの地にあるところから、国の政治と文化の中心を担ってるとも言えるよね!
新宿駅周辺には大手のデパートとか多くの繁華街を抱えながらも、1歩奥地にはいれば閑静な住宅地や自然も多く残されているんだよ!


 

新宿区ってなったのはいつのことかなあ?


 戦後の混乱からようやく復興の兆しを見せ始めた1947年(昭和22年)、四谷区、牛込区、淀橋区の3区が合併して誕生したのが、現在の新宿区なんだよ!
そもそも、新宿という名前は、江戸時代に日本橋を基点に定められた五街道の一つ、甲州街道の最初の宿場である高井戸までの距離が長く、その中間に宿場設置が認められたとき、内藤氏が幕府に返上した屋敷地に置かれた新しい宿という意味が転じて、新宿になったんだとか!


 

その新宿の前身となった3区の簡単な由来が知りたいなあ?


 牛込区、四谷区、淀橋区、3つとも今では区内の有名な地名だね♪
 まずは四谷区。もともとは武蔵野の荒野であったこの辺りには左右とも谷で藪が深いという意味と、旅人の休む4件の茶屋があったところから四谷という地名が起こったと言われてるよ!


 

続いて牛込区。かつてはこの地一体に沢山の牛が放牧されていたことからこの名前が起きたと伝えられてるよ。
「込」には多くの人が集まるという意味があって、上の意味と合わせて「牛込」になったという説が有力かな!


 

最期は、淀橋区。これはもう今となってはすごく馴染み深い名前だけれど、成子村と中野村の間を流れる神田川にかかっている橋を「餘戸」・または「四所橋」と呼ばれてたことが転じた説と、
亨保年間8代将軍吉宗が、山城国(現在の京都)淀にその景色が似ているので名づけた説など、いろんな説が残っているよ!
新宿駅の西口に本店を構える淀橋カメラって、淀橋区からきていたんだね♪私はてっきり、設立した人の名前か何かだと思ってました!(苦笑)


 

新宿駅の利用者数って日本1だってほんと?


 はいはい、日本1って言ったら嘘になってしまう部分も出てきちゃうかも知れないけれど、それでも1日の利用者数たるものや、1つの市町村の人口くらい(つまりは数十万人)くらいだよ♪いや、それ以上かも知れないけれど、1日を通してものすごい人でにぎわっているんだよ!
最近ではいろんな方面から電車が乗り入れてきている傾向があちこちであるから、地方からの利用客もぐんぐん増えてきているよね!


 

余談だけれど、新宿区の歌に「あの町この町笑顔で暮らす」というフレーズがあるんだけれど、確かに区の周りは渋谷区とか中野区とか港区などが隣接してるから、いろんな姿を垣間見ることができるよね!
それに、このコーナーのタイトルにもなっているし、なんだか親近感を感じてしまうなあ!


 

文化、政治の中心地であり、多種多様な姿を併せ持った都市、新宿区。ここでは今回は歴史を中心にしてしまったけれど、区内を歩いていると面白い地名に沢山出会うことができますよ!
ここでも、ちょっとした歴史を感じることもできるかも♪
新宿区に関する詳しい情報は、新宿区ホームページ へどうぞ。ここで取り上げた新宿の前身の姿もばっちり見られるよ☆☆


他の市町村へも行ってみよう!

トップページへ戻る