ついに、2022年も最後のカレンダーのページとなった12月に入ってしまいましたね!
12月以外の月はそれなりに1ヶ月が滞りなく過ぎていく感覚だけれども、この月は年末から年始につながるってこともあってか、
「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と気持ちばかりが焦ってしまって、本当にやるべきことが抜けてしまったり、
大掃除を先延ばししてしまって、十分時間があったのにそれに回さなかったことに後悔したりなどなど。
と他人事のように書いている自分もその口でして(苦笑)、少しでも時間を有効活用しなくちゃいかんよなぁと反省することの繰り返しであります!(汗)
それに、今年立てた目標が達成できたかなぁとか、今年中にやりたかったことは全部カバーできたかって、自然と総括してしまうなんてことも少なくないでしょうねぇ☆
師走という文字通りいろいろな場面で気持ちばかりが焦りがちになってしまいそうだけれども、
一つ一つきちんと計画を立てながら進めて、気持ち良く新年を迎えたいものですね!
まだまだコロナ禍ではあるけれど、「3年ぶりの○○」と銘打ったイベントや季節を感じるお祭りなども開かれるようになって、
少しずつ普段の日常が戻ってきて、きっと主要な初詣スポットもにぎわうんだろうなぁ!
行動制限ももうさすがに出なさそうですが、とは言え感染予防対策はしっかりと各々が意識を高く持って取り組んで、新たなコロナの波を乗り切っていきたいですね。
意味のない行動制限が繰り返し発出されていた頃は、動画やらライブ配信などがものすごく普及しましたよね!
まぁ、動画や配信とまではいかないにしてもこのコラムだって負けちゃぁいませんぜぇーい!
文字でめぐる観光旅行みたいな役割を果たせているかなぁとそんなことをふと考えることもあったりしますよ!
NACKN そうそう、今ではネットで簡単にそういう情報も手に入れられるけど、タウン情報誌みたいな本は昔は結構少なかった気がするなぁ!
旅をテーマにした本は結構あったけど、地元密着の情報が載っている本があの時代に合ったらなぁって思ってたよ。
AMATY あ、あの時代ってNACKNはそれほどまだ生きていないでしょ!キャラクター的にね!
NACKN えぇー、キャラクター上はまぁそうだけどー、そりゃぁねぇ、一緒に旅する小学生のキャラっつったって、AMATYの分身みたいなもんだからついつい「あの時代」なんて出ちゃうのかな!
AMATY あ、あれれ?NACKNがいつになくべらんめー口調になっちゃってるなぁ!それでもちゃきちゃきの江戸弁にも憧れちゃうねぇ!
ということで、今回は久々の群馬県訪問なんだけど、気づけば埼玉県同様群馬県の市町村も結構大詰めに差し掛かってきてるんですよぉ(@@)
まぁ市町村の数も少ないので無理もないですが、今回は名前もいかにも平和そうな町である明和町を取り上げてみましょう!
昭和村や昭和町みたいに書く地に存在していそうな名前ですねぇ♪
NACKN あぁー、明和町かぁ。名前だけは聞いたことあるけど、群馬県の市町村だったのかぁ!
都心からもアクセスが良く東武伊勢崎線で浅草から東部スカイツリーラインを経由して行けば、乗り換えなしで町の中心駅である川俣駅に着くことができるよ!
AMATY 東部の鉄道網も、結構都心とのアクセスがいい路線が多いんだよねぇ!まぁその代わりと言ってはなんだけど、結構事故と隣り合わせなんだけどね!(大汗)
NACKN あらら、そこに触れてしまったかぁ!まぁでも事実であることは否めないんだけどね☆
あれ?そういえば川俣駅の住所が「中谷」になっているんだけど、これはいったいどういうことなんだろうか?
この町には大規模な工業団地がたくさんあることも特徴の一つで、財政も豊かなところから人口の減少も少ないんだって(^O^)
関東平野に位置する市町村の中では標高差もほとんどなくて、いちばん高いところでさえも「利根川の土手がいちばん高いのか?」なんて冗談を言われることも多いみたいだよ!
ほとんど標高差がない市町村というのも、ある意味珍しい存在かもね!
明和村としてスタートを切った際に一般公募を募って選ばれた名前には、いつまでも明朗で平和な村であるようにという思いが込められているらしいよ♪
新しく登場する村の名前としては、すごくすてきな町名だけど、何と三重県にも同じ名前の町があって、こちらは町とは読まずに「チョウ」と読むんだよ♪
同じ由来でたんじょうしたのかも知れないよね。
この事件が起きた100年後に当たる2000年(平成12年)に、現在の明和町の川俣地区に、川俣事件の記念碑が作られたんだって!
1世紀以上も前に起きた事件とは言えども、その損害たるや凄まじいものがあったと思うし、その事実を後世に伝えていく活動も大切だし、その一環として建てられた記念碑だと思うよ!
「明和」とは乖離してしまったけど、こんな事件は二度と起きないことに越したことはないよね!
それにしても、政府の杜撰な対応なんて、そこだけはどうも現在まで引き継いできてしまったみたいですな (TT)
川俣事件の教訓を市町村名に込めた文化と自然が融合する町、明和町。
1993年(平成5年)に、街中にいながらにして自然に触れられるや憩いの場として整備された広場が、ふるさとの広場というところなんだよ!
水や緑に気軽に触れられることはもちろんだけれど、散歩道やスポーツ施設だけじゃなくて遊具もすごく充実しているから、
誰もが各々に楽しめて交流の拠点にもなっている広場なんだって☆
こういった公共の空間があると、そこから多種多様のふれあいや交流も生まれそうで、このご時世だからこそ活用して欲しいなぁって常々そう思ってますよ!
明和町に関する詳しい内容は、明和町ホームページ へどうぞ。
観光という大きなくくりの中に町の概要が隠れているという、ちょっと変わった試行のサイトになっていて、なかなかユニークですよ☆