今月の市町村


 

梅雨らしい気候が続き、湿度だけが高くじめじめ感の中で7月に突入しましたね!
確か、昨年はこの時期は統計を取り始めて最短である6月中に梅雨が明けたとかここに書いていた記憶がありますが、
このじめじめ館じゃぁ今年はそんなことすら感じられないくらい、梅雨明けはまだまだ先になりそうですね♪
先月は、「令和発祥の地をめぐる旅」と題してこのコラムでも久々に大きな旅行に出ました!
実は2018年の7月からツイッターも利用しているんですが、旬ものなので1人でも多くの方々に観てもらいたいという思いから、
ついにこのサイト本体をプロフィールランに載せてしまいました☆
私自身もこれだけじっくりと元号をひも解くなんて経験は初めてでしたが、実のところこれを企画する前までの1ヶ月間は「アンチ令和派」でした。
漢字の「令」の字にとにかく違和感があり、新しい時代になったっちゅうのに平和すら望めないんじゃないかとかとにかく不安感しか感じられなかったんです!
なぁんて、これって単なる偏見にすぎなかったんですが、コラム上で太宰府市を訪れて新元号の典拠元になった万葉集に触れ、
元号発表の際に詠まれていた和歌にも聞き覚えがあり、それに何か引っかかるものもあったもんで我が家に残っていた中学時代の万葉集のノートをめくっていたら、
な・何とこの和歌を勉強していたことが判明したことも転機となって、今では立派な「令和推奨派」に転向したんでした!
隅々まで調べてみれば新たな発見にであったり偏見をも取り除くこともできる場合だってあるんだから、
調べる前から単なる偏見しか持てなかった自分を改めて見つめなおすきっかけになった出来事でした!
ほんと、イメージだけで偏見を持つなんて良くないですねぇ♪


 

新しい企画が始まっても、3月・7月・11月は徐々に大詰めに差し掛かってきたとは言えども埼玉県の市町村を旅しています!
大詰めとは言えども、まだまだ取り上げそうで取り上げていなかった市町村も残っていたんでしたとさ!
 NACKN なんだか昔話が始まるみたいな語りが炸裂しているねぇ!
まぁでも、埼玉県が生まれたのは明治4年だから、ある意味しっくりくる部分もあるかも知れないなぁ♪
 AMATY おっ!うまいこと言うねぇ☆埼玉県も5世代目を生き抜いているわけだけど、平成最後に「翔んで埼玉」という映画が公会されているものの、
都合がなかなか合わなくて観に行けていないのが現状だったりするんだよね☆
 NACKN でっ、出たぁー!前半の埼玉をけなすような部分が逆にクレームが来るかも知れないって心配してたら、
本件ではそれを逆手にとって結構好感度が上がっているんだとか!不思議だよねぇ。
私も、このページと出会っていろいろな市町村を訪れる前までは、もちろん貶すまではしなかったけど埼玉県の市町村の数が無駄に多いかもって思っちゃったことならあったよ!
 AMATY あらららら!!それってちょいと爆弾発言かも!?でも、「翔んで埼玉」をきっかけにして埼玉愛がたくさん生まれればいいなぁ☆
さて、そんなこんなでそろそろ本題に入っていくことにしましょうか!
埼玉県の中でも人口増加率が急増したと言われている八潮市が、今回のコラムの主人公です!
何でもその背景には、つくばエクスプレス線の開業が大きく絡んでいるとか!
 NACKN おぉー、八潮市ねぇ!んとー、情報の一部をちょっとだけ取られちゃいましたが(笑)、
2005年(平成17年)につくばエクスプレスが開業したので、秋葉原駅まで出ればこの電車に乗ることができるよ!
これで中心駅の八潮まで一直線だよ!
 AMATY あらまぁごめんごめん!でも本当にこの路線が開業するまでは、東京方面だと高速バスを使うしかなかった訳だから、
それを考えたらこの駅の存在は大きな一歩だよね!
 NACKN うん、そうだよねぇ!鉄道駅がない市町村の場合はその周辺の市町村の駅を経由するとか
はたまたバスで数分かけてアクセスするみたいな方法しかなかったから、少々不便さを感じるもんねぇ!
それにしても、中心駅とあってか結構にぎわいを見せているなぁ☆


 

八潮市ってどんな所だろう?それで、何でもしばらくは唯一の鉄道路線がなかった地域だったとか?


 八潮市は埼玉県の南東部に位置している市町村で、この市がまだ町だったころは南埼玉郡に属していたところなんだよ!
関東地方のおおよそ中央部に存在している中川低地に広がっているところで、市の全体がほぼ低地に位置しているという特徴も持っているよ!
1972年(昭和47年)に市制施行したので、あと3年後に当たる2022年(令和4年)に市制施行50周年を迎えることにもなるねぇ☆


 

2000年代を迎えた時点で、現在は川口市に合併されてしまいましたが、当時の鳩ヶ谷市とこの八潮市には、一つも鉄道駅が存在していなかったんだって!
鉄道駅がないっていうのは、主に電車を移動手段に利用している人たちはもとより地元の人たちにとっても、それはそれは多大な不便さを強いられていたことになるよね (*_*)
2001年(平成13年)に当時の鳩ヶ谷市に埼玉高速鉄道線が開業したことで、鳩ヶ谷駅と南鳩ヶ谷駅が誕生して、
県内でも唯一鉄道路線がない市町村となってしまい、「陸の孤島」とささやかれてしまうことも多かったらしいよ♪


 

それでも、ようやく2005年(平成17年)につくばエクスプレス線が開業したことが転機となって、
市内には待望の八潮駅ができただけでなく、これが基盤となって都心からのアクセスの利便性が良くなり、
千葉や茨城方面ともつながったことで人口増加率が急激に上がったんだよ!
昭和の末期から平成にかけて工場の進出や区画整理事業が急激に進んだことも契機となって、市内の様子も驚異的な変貌を遂げていると言っても過言ではないよね!


 

鳩ヶ谷に先を越されて「陸の孤島」だなんてささやかれたら、たまったもんじゃなかったねぇ!でもほんと、鉄道駅は市民が待ちわびていたことだろうね。ところで、用水の街としての側面も持っているんだとか?


 おやまぁ、今回はいきなり若干の変化球をぶち込んできましたねぇ!(汗)
というか、歴史をひも解いていくと江戸時代の物資輸送事情とすごく深い関係にあるそうだよ!
何でも、安全かつ大量に物を運ぶことができるという理由から、船による輸送が主流な時代だったそうだよ!


 

この市を主に流れている河川として中川と綾瀬川というのがあるけれど、荷物の積み下ろし専用の「河岸」が設けられていて、実に多くの川船がしょっちゅう行き交っていたんだって☆
それに加えて、市の産業の一つとして現在でも続いている染色業は地場産業として盛んなんだけど、
木綿の生地の集積地として知られている岩槻や消費地の江戸にも近かったことに加えて、
稲作を中心として発展してきたこと、葛西用水路や八条用水といった水路に恵まれてきたことから、埼玉県でも有数の「水路の街」として発展してきた経緯があったんだよ☆


 

特に、染色業が現在でも盛んなのは、江戸時代から水運と切ってもきれないほど密接に発展を続けてきた歴史があってこそかも知れないね☆
また、江戸時代よりもさらにさかのぼっていくと奥東京湾と呼ばれる遠浅の海だったという説も残されていて、
これが今日の水路の発展につながったとも言われているそうだよね♪


 

何千年も昔に遠浅の海だった説ってすごく有力かも知れないよね。それが、江戸時代の水運・そして染色業の継続へと発展していったんだもんね!ところで、かつて三つの村の連合があったことから「八潮」という名前が生まれたって聞いたんだけど?


 ウヒョォー、今回は何処までも変化球狙いでずばずば攻めてきますねぇ!
この市の歴史をひも解く鍵を握っているのは江戸時代と明治時代の初期に集中しているかも知れないね☆
1884年(明治17年)に、市内に設けられていた連合戸長役場を中心にして、伊勢野村連合・松之木村連合・上馬場村連合という主に三つの村の連合が形成されて、市内の中心三村として機能していたそうだよ!
これらの村の連合にはさらに細かな村々に分かれていたんだけど、近代地方自治制度の一環として市制・町村制が1889年(明治22年)に施行されたことから、
松之木村連合は八條村、伊勢野村連合は潮止村に、そして上馬場村連合は八幡村に改められたんだって。


 

その後、八条村は現在の草加市に分離されているけれど、八条・八幡の「八」という字に潮止村の三村の頭文字をそれぞれ取って組み合わせて誕生したのが、「八潮」という名前の由来にもなったんだよね!
余談だけれど、千葉県に八千代市という市町村があるけれど、音だけで聞いたら八千代と八潮って似ているから、
ちょっとした混乱が起きそうかも知れないなぁって余計な心配をしてしまうのは私だけでしょうかねぇ?


 

水路の街とも呼ばれ、鉄道駅誕生をきっかけに今なお変貌を遂げる都市、八潮市。
さらに隠れた特徴としては、この市の出身者は何故かスポーツ選手が多いという習性があるようで、
プロ野球の広島で活躍していた大竹寛も八潮の出身なんだよ!
それに、つくばエクスプレスの八潮駅は秋葉原からのアクセスが大変良いことから、都心からの交通の便も大きく向上したことも、
人口増加率を大きく広げた要因かも知れないね。
人口もいよいよ二桁に手が届きそうなところまで、迫ってきているといったところですね☆
八潮市に関する詳しい内容は、八潮市ホームページ へどうぞ。
生活に関する情報が手前に配置されている作りになっていて、今知りたい情報に素早くアクセスできるようになっているので、コンパクトに調べられそうですよ!



他の市町村へも行ってみよう!

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