一足お先に夏が来てしまったのかというくらい、毎日のように暑い日が続きつつ6月に突入してしまいましたね。
今年のGWは例年と違い、連休中に元号が平成から令和に変わるという一種独特な雰囲気のあるものでしたね!
今回の改元は弔事を伴わなかったこともあってか、何だかゆく年くる年でも放送されるかのようなもう一度新年度を迎えるみたいなそんな感覚でしたね☆
昭和から平成に改元されたときは、昭和天皇の崩御によって次の日には平成を迎え、テレビ・ラジオはもちろん全国的に粛々とした雰囲気が数週間漂っていたし、
そのときはまだ小学生だったので昭和から平成に変わったと言われても、いまいちぴんと来なかったことを覚えています。
その証拠に、たとえば平成10年は昭和に直せば73年だといったように、平成の年をやたらと昭和に直していたぐらいでしたしね。
そもそも、60数年にわたってもっとも長く続いた元号って、日本の元号では昭和だけなんだとか!!
昭和の時代がとうとう二世代前になってしまったのは少々さびしい限りですけど、果たして令和はどれだけ続くでしょうかねぇ!
それにしても、この1ヶ月で競うように「令和最初の○○」って文言をもう嫌というほど耳にしましたよね。
新時代最初という意味ではいいかも知れませんが、なんだかお決まりパターンが確立されすぎるのはどうかと思う今日この頃!
それでも、今回の元号は初めて日本の古典から典拠されたと聞いたら、真っ先に訪れてみようってのがこのコラムの特徴ってことで、
GWは過ぎましたけどちょっと大きな旅行に出てみることにしましょうか!
題して、「令和ゆかりの地を巡る旅」ってね!
NACKN うんうん、令和に改元されて1ヶ月が経ったけれど、まだ平成の方がなじみ深くて、いまいちぴんと来ていないのが正直なところかな!
AMATY そうだよねぇ、平成のときだって元年から2年になった辺りぐらいからようやく自然と慣れてきたって感じだったからなぁ。
NACKN それにしても、あれだけ令和が漢字が伴ってないとか違和感あるだとか影が薄いだとか散々苦言を呈していたのに、
それが令和発祥の地を訪れてみようってとこまでよく踏み切ったよねぇ!
AMATY おいおいちょっと待てい!!確かに昭和と同じ「和」という字が使われているから、
昭和でやり残してしまったことをリベンジするみたいな元号だとは言ったことあったけど、影が薄いとまでは言ってないぞ!!
NACKN あらららほんとごめんごめん!こうやってすぐ脚色してしまうのが私の短所かも知れないなぁ (*_*)
そうそう、5月分のこのページの更新作業を手伝ってたんだけど、全てを終了した時間が偶然にも0時18分だったんだよねぇ!んー、これがほんとの「レイワ」だわいねぇ!
AMATY ドッヒャァー!!反省したと思ったらいきなりその落ちですかい (^^ゞ
ということで、今回と8月の2回にわたって、元号ゆかりの地を訪れてみようシリーズと題して、
今回は旬ものということで令和発祥の地として注目を集めている福岡県の太宰府市を取り上げてみましょう!
それにしても、どうして福岡県のこの地がとたんに注目され始めたんでしょうか!
NACKN おぉー、太宰府市。名前はよく聞くけれど、どんな特徴の市町村かはよく分かってないかも知れないなぁ!
今回はとにかく遠出だから、羽田空港から飛行機で福岡空港までまずは一っ飛びしてみようか!
空港に着いてからはシャトルバスで国際線ターミナルに移動し、そこから西鉄大宰府線の太宰府駅まで直行バスが出ているそうだから、
これに乗って行くと中心駅の太宰府駅まで確実に行かれるよ!
AMATY おぉー、さすがに今回は鈍行や急行じゃなかったねぇ!
それにしても、いつ来ても観光客が多いなぁ (@@)
NACKN そうなんだよねぇ!この駅は中心駅ってこともあってかすごくにぎわいを見せているねぇ☆
あれれ、観光客に負けじと通学の生徒さんもものすごく多いぞぉ!
いったいなぜにこんなことが…?
さらに、高等学校・短期大学・大学なども九州の中でも数多く存在していることもあってか、「学生の街」としても有名なんだよ!
中学校とか大学みたいに特定の学校が密集している地域は結構見るけど、こんな風に全ての学校が一貫して存在しているところってわりと類を見ないっていうから、
かなり大規模な学生の街って言えるよね!
まずは、令和というこの元号が何処から取られたものなのかってとこからの説明をしていかないとね!
これまでの日本の元号の元となったのは全て中国の古典から取られてきたんだけれど、2019年5月から使われている「令和」というこの元号は、
日本最古の和歌集である「万葉集」の梅花の宴の一説から選定されたので、日本史上でも初めて日本の古典から元号が選定された事例となったんだよ!
そんでもって、太宰府市とこの令和との関係ってところに話を移していくんだけど、上でも紹介した旧州地区の統治組織だった「大宰府」にあった大伴旅人の邸宅で、
当時の正月(現在の2月に当たる)に梅の花を愛でる宴が開かれたんだって!
梅の花というのは当時は外来植物として珍しい花だったということで、その宴の様子を詠んだ32首の和歌の序文の一説、
「初春の令月(レイゲツ)にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」の、
令月から「令」風和らぎから「和」を引用して「令和」という元号が誕生したんだよ!
この大伴旅人の邸宅があったのが、現在の太宰府市にある坂本八幡宮の辺りだったとの言い伝えがあることから、
新元号が発表されたことで「令和発祥の地」と呼ばれていっきに注目されることとなったんだよね!
いやぁー、こうやって一つ一つひも解いていくと令和の元号にも実に味わい深い意味が秘められていて、
文字だけで偏見とか違和感やら間違った解釈を持っていた自分がなんだか恥ずかしくなってきますねぇ (^^;
この会は、1997年(平成9年)に発足した団体で、月に一度万葉講座や万葉集の巻1から20までの全文を詠む催しなどを数多く主催していて、
県内はもとより九州各地でも結構依頼が絶えないそうだよ♪
宴が開かれた天平2年の正月というのは現在で言う2月に当たることもあって、実際に当時を再現した万葉衣装を着けて
この時期に必ず梅花の宴の32種を参加者とともに朗唱し、1人でも多くの方に万葉集に親しんでもらおうという目的で活動をしているみたいだよ☆
2019年も2月の9日にこの催しを行ったばかりだけれど、4月に新元号が発表された翌日にも特別に開催したというから、
この会のみならずそこに集まった人たちにとってはどれだけ喜ばしい1日になったことだろうねぇ☆
太宰府万葉会にとっても、この梅花の宴の一文が令和の時代を迎えたことで何物にも代えがたい一層特別な一説になったことは言うまでもないよね☆
改元を迎えた5月1日から、令和ゆかりの地として注目されそれを記念した「令和の御朱印」の授与が開始されたんだよ。
でもね、なにせこれまでの参拝者は1日平均しても20人ぐらいだったのが、いきなり3000人近くの参拝客が連日詰めかけたわけで、
ただでさえ宮司が常駐していなかったこの神社でボランティアでかわるがわる氏子が参拝客の対応をしていた訳で、
慣れない対応に疲れ果ててしまい寝込んでしまった氏子が続出したそうだから、一時期御朱印の授与を見合わせてしまう自体になっちゃったんだって!
それでも、たくさんのお客さんの要望に応えたいという思いから、5月18日に再び御朱印の授与が再開されたんだって。
御朱印がもらえるのは本当に光栄なことだけど、氏子が寝込んじゃったりしないことを切に祈りたいね☆
旧州の学生たちの若い力と大宰府政庁跡を中心とした史跡が交錯する令和発祥の地、太宰府市。
この市の花も梅の花になっていて、市内でも3月に入ると梅の花が咲き乱れて、多くの花見客も訪れているみたいだよ!
この坂本八幡宮でも万葉集の歌碑があちらこちらで見られるので、新時代を迎えたタイミングでますます観光客が増えそうですね!
ということで、「令和ゆかりの地を巡る旅」いかがでしたか!
これだけじっくり元号をひも解くなんて経験も初めてという人もきっと多かったことでしょうね!
このページを見て、少しでも令和の由来を共有していただけたら嬉しいですね!
そして、まだこの元号に違和感を持っている人たちに声を大にして伝えたいです。
「由来を知ることで違和感が無くなることも少なくないんです!実際違和感と偏見しか持てなかった自分自身が、改めてその由来をひも解いたことで令和という元号に純粋に親しみを感じることができたのですから!」と。
太宰府市に関する詳しい内容は、太宰府市ホームページ へどうぞ。
観光のページと文化財のページにはっきりと分かれていて、それぞれのメニューの作りもシンプルで、
自治体のホームページとしては結構読みやすい工夫がされているページだと思いますよ!
来月は埼玉県の市町村紹介を挟みますが、8月は今度は平成とゆかりの深い地を巡ってみる予定ですので、おたのしみにーー!!