今月の市町村


 

皆さん、いつもお忙しい中をこのコーナーにもアクセスしていただきまして、本当にありがとうございますm(__)m
さて、やっと!ついにこの言葉が使えるようになったでしょうか。「とうとう!」、
マイタウンコラム(あの町この街)も10歳のお誕生日を迎えることができました(@@)
このコーナーを始めた当初は「まぁー1年続けばとりあえずいいかな」程度に考えていたんですが、
それが何処をどう間違えたのか!?(笑い)蓋を開けてみたら10年間同じスタイルを貫き通すことができていたんですよこれが☆!
10年一昔とはよく言いますが、私とレポーターのNACKNの力だけでなくここにアクセスしてくださる皆様が居てくださるからこそ、
10年経っても同じテンションとスタイルを維持しながらここまで続けることができていることに何度感謝してもし足りないほどの感謝の気持ちであふれています。
これからも、様々な市町村の魅力を楽しく分かりやすく絶えず臨場感たっぷりにレポートしていきますので、
皆さんも手軽に旅行に行くような感覚でアクセスしていただければと思います。


 

ゴールデンウィーク(通称GW)が近づくと、このコーナーも含めた「Amatiasの玉手箱」のお誕生日でもある5月1日に当たるので、
このページにアクセスしてくださっている知人から「ゴールデンウィーク谷間の重大事件だ!」だなんて冗談交じりのコメントをくれたことがありました。
そういえば、記憶に新しい去年のGWは本当に雨続きの荒れた天気でしたよね?さて、今年のGWの天気が気になりますよね!
ここでNACKNに伝えていただきますかねぇ!NACKNさぁん!!
 NACKN はぁーいお伝えします。今年のGWは?……って、あのですね、私はウェザーキャスターではなくて市町村レポーターなんですが!
 AMATY あれっ、違ったんですか?なんだか最近毎日ウェザーニュースを絶えず見ているって聞いたんだけれども。
 NACKN 確かに気象のことにも興味あるし、怖いぐらいよく当たるから毎日見てはいるんだけれど、別に気象予報士では無いですって!
ったくもう、突然ふられてびっくりしちゃったじゃないのぉ!
 NACKN あらら、いやぁー失礼しました。でも、確かにNACKNが天気を伝えていたら一種異様な雰囲気だけれど、
やはり一緒に市町村の魅力を伝えていきたいね!
 NACKN 一種異様なだけ余計だろが!!
 ということで、GWは毎年小旅行感覚で転回していますが、今回は久々に東海地方まで足を伸ばしてみるとしましょうか☆
名古屋のベッドタウンとして発展したという、岐阜県可児市を訪ねてみましょう!
 NACKN おぉー、岐阜県といえば夏に2・3年前ぐらいに多治見市に行って以来久しぶりの訪問になるんだね☆
東海鉄道の太多線、それか名古屋鉄道の広見線が進化に駅か可児駅で交わるみたいだから、名古屋まで新幹線で出てから乗り換えるという方法もあるけれど、
やはり車窓からの景色を味わいたいので新宿駅から中央ライナーという高速バスで行くことにしようかな!
 AMATY おぉー、地方に出ても鉄道はむっちゃくちゃ詳しいねぇ!私は、可児市といえば古墳群というイメージしかないんだよね!
 NACKN 私もだよ!あれ、なんだか西可児駅が結構賑わっているなぁ!


 

可児市ってどんな所だろう?


 可児市は、岐阜県中南部の木曽川南岸に位置していて岐阜市からも愛知県の名古屋市からも凡そ30キロメートルの距離にある都市なんだよ!
戦後の高度経済成長以降に、萱場工業を中心とした製造業が発展したところでもあり、1965(昭和40)年前後を皮切りに
可児工業団地をはじめとする工場用地が相次いで完成していったところ、丘陵地を開拓してニュータウンが増えていったことで
「名古屋に近いベッドタウン」として注目されるようになったんだって!
それ以降市内で爆発的に人口が増え続け、長年に渡って親しまれてきた可児町は1982(昭和57)年に
この現象を受けて可児市としての新しいスタートを切ったという経緯も持っているんだよ!
岐阜県内の市町村でも、30年足らずしか経っていない新しい部類に入る市町村だと言えるよね☆


 

ベッドタウンの機能を持っている所って人口が驚異的に増えるってそういえば聞いたことあったなぁ。ところで、歴史も含めてこの市のことをもっと知りたいな?


 ほんと最近、同じ質問をするんでもいろいろなバリエーションにとんでるよね!特に地方の市町村って、

知れば知るほど奥が深いってところがたくさんあるもんね☆それでは早速、明治時代まで タイムスリップしてみることにしましょう!!
ちなみに、この地域は大昔、縄文時代の後半ぐらいになると中心を流れていた木曽川の沿岸に集落が出来始めたそうだよ!
1871(明治4)年に、この年は廃藩置県が行われた年でもあってこの辺り一帯は岐阜県に属することになったんだよ!
1889(明治22)年に町村制という制度が施行されて、兼山町を含めた一町七村を持つ地域となり、
それから程なくして濃尾地震という大規模な地震が発生して被害を受けてしまったんだ!
そんな大災害をも乗り越えてきたこの地域は、1955(昭和30)年に実施された合併によって可児町となり、
上でも触れたけれども1982年に人口増加を受けて町から市へと昇格して、可児市となって現在に至るんだよ!


 市の特徴としては古墳時代に多くの古墳群が築造されたと伝えられていて、中でも古墳時代中期に築造されたとされる
長塚古墳」や「次郎兵衛塚一号墳」が有名で、これらは国の史跡としても指定されているんだって。
また、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将である「明智光秀」や「森成利」の生誕地であったとも言われているらしいよ。
美濃の陶工に命じて作らせたと伝えられる美濃焼の一種と言われる陶磁器「志野焼」の発祥地としても知られているんだよ。
こんな風に、昔から受け継いできた歴史的な背景とか遺産なんかも本当に多い地域であることが伺える感じだよね♪


 

いやぁー、町に歴史ありだね!志野焼って可児市が発祥だったなんてね☆この市は、二度も花フェスタが行われた会場が有名とか?


 そうなんだよ、市内にも史跡を中心とした観光地は多くあれど、この会場はこの市を語る上では重要な所みたいだよ!
1984(昭和59)年に県営の都市公園として計画され、10年後の1993(平成5)年に
県営可児公演として前面教養が開始されたんだよ!
そもそも岐阜県はバラの苗の生産量が日本一を誇っていて、大阪で開催されていた「国際花と緑の博覧会」を受けて、
1990年から展開している「花の都岐阜」運動の5周年に当たる95年に「花フェスタ’95ぎふ」として開かれていたよ!
このイベントの後に敷地の町制のために一時救援してしまったんだけれども、翌年に再オープンされて、
公園の名前も「花フェスタ記念公園」と変わって「自然の大切さを再認識し自然と人間の共生のための
知識を得る場」という目的の下で、一般開放されているみたいだよ☆


 2005(平成17)年にも10年ぶりに装いも新たに「花フェスタ2005ぎふ」が開かれたんだって!
同時期に開かれていた「愛・地球博」と重なったにも関わらず多くの来場者を集めて可児市のみならず
東海地方のバラスポットとしても有名で、注目され始めているんだよ!
「ジョセフィーヌのバラ園」「ローンガーデン」「花のミュージアム」の三つの区域に分かれていて、
約7000種にもおよぶ3万株のバラが植えられていて市民の憩いの場としても親しまれているよ☆
私もまだ行ったことが無いけれど、いつか行く機会があれば立ち寄ってみたい場所ですね☆


昔からの歴史遺産が現代に光る都市、可児市。
ちょっと告知のようになってしまいますが、私が所属している「劇団ふぁんハウス」で7月19日から21日にかけて上演される、
新作「ありがとう、お父さん」の舞台となるのがくしくもこの市なんです。
ゴールデンウィーク中に、劇団員で現地取材ということでなんと日帰りで可児市に行ってきたんです。
台本に登場する木曽川ライン下りの船着場や葬儀上や近くのレトロな雰囲気を持った新可児駅、一気にイメージが膨らんだことは言うまでもありません。
今回は現地取材ということでしたが、いつか観光で行ってみたい場所ともなりました。
可児市に関する詳しい内容は、可児市ホームページ へどうぞ。 「コミュニティネット可児」という愛称が付けられたこのページの中にある、分かりやすい動画も必見ですよ!



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