今月の市町村


 

カレンダーのページがあと2枚となった11月に突入です!
毎年この時期になると同じことを書いているかも知れないけれど、9月からの4ヶ月間は
これまでとは違って月日が経つのがすごくあっという間に感じるのは何でだろうか?
祝日が多いからか、はたまた昼よりも夜の時間が長いせいだからかな?
おせち料理商戦や「年賀状印刷始めました」という広告、それに手帳や来年のカレンダーや冬物のセーターやコートなんかが売られている光景に出くわすと、
一気に年末に向かってまっしぐらに突き進んでいくのが11月だよなあってしみじみそう感じてしまいますね!
おまけに、クリスマスソングも流れてくることも増えてくると、季節はすっかり冬ですよね☆
あと2ヶ月間、悔いの残らないように充実した時間を過ごしていきたいものですね!


 

さて、11月というとこのHPの主人公である埼玉県のお誕生日を14日に控え、
いつものようにこのコラムも埼玉県へ戻ってきました☆
なんだかんだ言っても、やはり11月のこの記念日は自分自身のテンションもマックスに到達するくらい盛り上がりますね!!
 NACKN ほんとほんと、いろいろな市町村へ行けるのもすごく楽しいけれど、11月だけは譲れない習慣だもんね☆
 AMATY そうだよ、それになんとHPを開設してから11月の埼玉の市町村ピックアップは、今回が10回目なんだよ!
 NACKN うわぁー、もうそんなになるんだねぇ!早いなぁ。自分も年を取るわけだ!
 AMATY っておい!どうしてそっちの方向に持っていくかなあ?
 NACKN あぁー、ごめんごめん!せっかくの盛り上がりムードがしらけちゃうね☆
ということで、最近ではなんだかショートコントのようになってしまったこの掛け合いですけど、
今回は埼玉県のゆずの里としても知られている毛呂山町を訪ねてみましょう☆
ここは様々な自然の特色がうまく調和し合っている所らしいよ!
 NACKN お、毛呂山町かぁ!名前はよく聞くけど実は行ったことが無かったんだなぁ!楽しみ楽しみ。
ここからだったら、池袋から東武東上線で坂戸駅まで行けば越生線と接続するから、それに乗って東毛呂駅まで行ってみよう。そうすれば毛呂山町まで行かれるよ!
 AMATY おぉー、八高線で行くと思っていたらその経路があったかぁ!確かにこっちの方が近くて早いね♪
 NACKN うん、ほら、もう毛呂山町だよ!本当に自然が多く残ってるねぇ。空気までおいしいよ!


 

毛呂山町ってどんな所?


 毛呂山町は、埼玉県入間郡の南西部に位置していて、都心からはおよそ50キロメートル圏内にある自然豊かな町なんだよ!
中心部をJR八高線と東部越生線が走っていてそれぞれの沿線を中心に宅地化が進んでいる一方で、
東部は低地で広大な水田地帯になってるんだって!そして、自然がもっとも多く残る西部は、
秩父盆地の東側に当たる地域である外秩父山地で、観光客がハイキングで訪れることもすごく多いらしいよ♪
農業も盛んで特に果樹園の数は最大級と言われ、「ゆずの里」としても全国的に知られているんだよ☆


 

そういえば、「ゆずの毛呂山」ってよく埼玉のテレビで聞いたことあったなぁ!ところで、この地域は昔はものすごくたくさんの村があったとか?


 最近、質問の内容がものすごく深いものになってきているね!そうなんだよ、今では人口が約4万人のこの町だけど、
埼玉県が誕生した明治時代はそれはそれはもうたくさんの村が存在していたんだよ!それも、県域をも越えてね♪!ここで久々、歴史タイムトリップの時間です!!


 

埼玉県に人が住み着くようになったのは、今から約3万年前の縄文時代頃とされているけれど、
現在の毛呂山町付近にも縄文中期に人が生活していた痕跡があるそうだよ!
そして、1871(明治4)年に埼玉県が誕生してからおよそ1ヵ月後の12月25日、
この辺りの地域は当時存在していた入間県に属することになったんだけれど、それから2年後の明治6年(1873年)には
群馬県と入間県が統合されて熊谷県となったことで、今度は熊谷県の管轄になっていたんだ!
明治時代にはこの辺りの地域は実に20近くの村が存在していて、その中に「毛呂村」という小さな村もあったんだって。


 

そんな数々の村も時代を重ねるごとに編入や合併が何度となく行われて、1939(昭和14)年4月に、毛呂山町としてのスタートを切ったんだよ☆
ちなみに、群馬県と入間県の統合でできた熊谷県は2年後には廃止となって、やっと埼玉県の管轄となったんだよ!


 

町の紹介のところで取り上げた「外秩父山地」の中心に農業用灌漑貯水池である「鎌北湖」という湖があって、
ここを中心として多くの果樹園や畑が形成されていることから「ゆずの里」として親しまれ、国内有数のゆずの産地としても知られているんだよ☆


 

すごぉい、明治時代からの長い歴史があって本当にたくさんの村が存在してたんだね☆ところで、この町には新たな村があるってほんと?


 そう!すごいところに目をつけたね!☆新たな村っていうかね、理想社会を目指して毛呂山町の南部の丘陵地帯に作られた
新しき村」という名前の共同体のことなんだよ!


 

元々この村は埼玉県では無く宮崎県にあった所で、日本の小説家であり劇作家・画家でもあった武者小路実篤(ムシャノコウジサネアツ)が、
理想的な調和社会の実現を目指して開村したんだけれど、ダム工事で水没してしまうことから、1939(昭和14)年に
埼玉県の毛呂山町に移住して以来、現在でもこの共同体は続いているんだって!


 

「新しき村」だなんて本当に未来を見据えて進んでいきそうな前向きな名前だけれど、
ここは農業を主とした共同生活を目的としていて、第二次世界大戦語は一世帯にまで現象してしまったこの村(共同体)も、
埼玉県から財団法人の認可を受けて自活し現在に至っているんだよ!


 

毛呂山町の隠れたシンボルとして、毛呂山の歴史をずっと見守ってきた所とも言えるよね!しかも、
現在でもここが存在しているってのも驚きだよね☆


 

私も知らなかったけど今でもそんな所があったなんてびっくりだね。それじゃ、最後にこの町の有名な出身者を知りたいな?


 あれ、今日は観光スポットじゃなかったかぁ!自分もこのリストを見て美栗したけれど、結構意外な方がこの町の出身なんだよね!
まずは、お笑いタレントでたけし軍団の一員の「ダンカン」(本名 飯塚実)が代表的かもね☆
元々は立川流の落語家で、立川談かんという芸名を名乗っていたところから、タレントに転換してもこの芸名をそのまま使っているんだって☆


 

他には、トレンディドラマの先駆けともなった「男女7人夏物語」のメインキャストを勤めた女優の大竹しのぶ、
「青いベンチ」という曲が大ヒットし注目を集めた男性デュオのサスケもこの町の出身なんだよ!


 

それから、シドニーオリンピックマラソン代表の川嶋伸次も、毛呂山町出身者として有名なんだよ☆
出身者は少ないけれど、特に「男女7人夏物語」は小学生の頃家族と見ていたけれど、 まさか漫才みたいなあの面白いキャストの一人が大竹しのぶだったとはね!!


 

人と自然の調和するゆずの里、毛呂山町。
毛呂山町の話題じゃなくて恐縮なんだけれど、このコラムで2010年の3月に取り上げた白岡町が、
2012(平成24)念10月1日に、人口が5万人に達して白岡市となりました!
人口が3万を超えれば町から市へと昇格できるんだけれど、それ以前にこの町は人口が増え続けていたから、市となる条件はとっくにクリアしていたんだけれどね!
こんな風に、町から市へとなる市町村もこれから増えていくのかな?
もしかしたら、今回取り上げた毛呂山町も、何年・何十年か先には市になっているかも知れませんね☆
毛呂山町に関する詳しい内容は、毛呂山町ホームページ へどうぞ。
「ゆずの里」に関する情報も詰まっていて、キャンプ場案内なども充実しています!



他の市町村へも行ってみよう!

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