今月の市町村



 

1年の中でもっとも寒い付き、それが2月。だいたい、1月の20日前後が大寒ですけど、
関東では1ヶ月強という観測史上最高の記録を更新しました。そろそろおしめりの一つも欲しいよなあと思っていたら、
今度は都心でも数センチつもるほどの雪が降り、おまけに気温が低い日が連日続いているせいか、
道路の所々が凍結している箇所がいまだ残ってたり、ほんと最近の気象ってやつは極端ですよね!(苦笑)
今年の大学入試センター試験でもありえないミスが目立ち、受験生にとっては自分の人生を左右することだけに
本当に不安でならなかったろうと思います。
キットカツや落ちないリンゴなどの受験生応援グッズが目立つのもこの季節ですが、先月までこのコラムが訪れていた金沢市では、
砂が滑りにくいことから「滑らないお守り」として、砂を入れたお守りを駅周辺や各学校で配っていたと聞きます。
うんうん、なかなか斬新なアイディアですよね。けど、やはり金沢ならば金箔をあしらったお守りの方が
ほっ ほっとするんじゃないかとか思っているのは自分だけでしょうか?(笑い)というか、あまりにベタすぎますねこれは!


 今月も、一桁台の気温が続く日が多くて、朝布団から出るのに相当の気合と覚悟が必要だけれど、
もう少し続くこの寒い冬を気合と根性で乗り切りたいですね!これまで巡ってきたコラムを読み返して、
ウェブ上の市町村を巡って旅行気分を味わうのも粋な方法かも知れませんね!
 NACKN あれ、ちゃっかりこのコラムを宣伝しちゃってるし!
 AMATY いやぁーだってねえ、自分でも時々読み返してみても、新たな発見があったりするもの!
 NACKN そうかぁ、8年分のデータが蓄積されているから、最初の頃に取り上げた市町村って、ほんと懐かしくて
「こんなこと書いてたのかぁ」って思ったりするよね。
 AMATY そうだよ。NACKNが言ったあんなことやこんなこともしっかり残っていることを忘れないでねぇ!
 NACKN わっちゃぁー、そうきたかぁ!(苦笑)
ということで、今回も懲りずに小旅行をしてみたいと思います。全国的にも避暑地としても知られている、長野県の軽井沢町を取り上げてみましょう。
ここも、私の憧れの市町村の一つだったりします!実は金沢とも競っていたりしてたんですけれどねえ、今は……。
 NACKN あれれ、それは初耳だわ!そういえば、軽井沢も好きだとも言っていたような…。前までは信越本線で軽井沢まで行けたけれど、
長野新幹線開業でそれも過去のものとなってしまったことが寂しいところですが、思い切って長野新幹線で行ってみようか!ほんとに一直線って感じで早いなあ。
 AMATY ほんと、ちょっと寂しいよね!横川→軽井沢間で売られていた横川の釜飯ってのも名物だったよね!


 

軽井沢町ってどんな所だろう?


 軽井沢町は、長野県の東部に位置している観光有数都市なんだよ!国内はもとより、海外でも避暑地・別荘地としてもすごく有名で、
ジョンレノンが日本に来日していたさいにもっとも多く訪れていたのも、この町だったんだよ!海外での認知度の高さが伺えるよね!
また、1964(昭和39)年の東京オリンピックでは総合馬術の会場として、
1997(平成9)年の長野オリンピックではカーリングの会場として注目を集め、
世界で唯一の夏季・冬季両方のオリンピック会場となった所が、この軽井沢だよ!


 

夏季・冬季両方のオリンピック会場だったなんて、ほんと類を見ないよね!ところで、この名前の語源ってなんだろうな?


 おぉー、毎回の質問の仕方にもバリエーションがどんどん増えてきたね!(にやり)由来聞かずして地域は語れないとはよく言うけれど、
特徴や由来は真っ先に知りたい部分の上位をいつも占めているよね☆
この町は、江戸時代は五街道の一つである中山道が通る宿場町として機能していたんだ。
この街道の難所であった碓氷峠の西側の宿場町として栄えていたのが軽井沢地区で、浅間山を望む景勝地として知られていた所なんだよ!


 

軽井沢という地名の由来にも、いくつかの説があるんだよ。
水が枯れた澤地のことを「枯井沢(かるいざわ)」と呼んだという説と、方言で荷物を背負って運ぶことを「かるう」と言うことから、
峠に続いている谷間のことをこう呼んでいたという説が、結構有力だと言われているよ!
確かに、軽井沢地区は大昔は水にはあまり恵まれていなかったという話も聞いたことがあるから、どちらが有力かって決められない部分もあるよねえ!
けど、どちらか選べと言われたら、碓氷峠の西側の宿場町という特性から、後者の説が適してるかなあって!


 

荷物を背負って運ぶことを「かるう」っていうのはよく聞くし、地名もほんと奥が深いんだね!それはそうと、どうして軽井沢が避暑地だってよく言われるんだろう?そもそも、避暑地だって最初に発見した人って誰だろう?


 お、なんだか今回はぐいぐいと突っ込んできますねえ!そうだよね、まず避暑地と言って真っ先に思いつくのがここ軽井沢だけれど、
実はここが避暑地だと最初に発見した人は、日本人ではなかったんだって!!
江戸時代末期まで、碓氷峠の宿場町として栄えていた軽井沢だけれど、明治に入ったとたんに
宿場町の機能は失われていってしまったんだ!その後の1886(明治19)年にカナダの宣教師であった「アレクサンダー・クロフト・ショー」が、
この地をたまたま訪問したさい、故郷のトロントと非常に機構が似ていると感じたことから、
ここを避暑地だと宣言し、この地が避暑地であることを多くの地域へ紹介したんだって!
だから、今の軽井沢があるのはこの人のおかげと言ってもいいくらい、ありがたいことなんだよ!


 

さらに、1888(明治21)年には、佐藤忠右衛門のあっせんによって別荘を設けたことが別荘地の始まりで、
避暑地・別荘地としての歴史が切り開かれた瞬間でもあったんだよ!
よく軽井沢の一角を「旧軽井沢地区」と呼ぶことがあるけれど、最初に別荘を設けた地域のことを指しているみたいだけれど、
どうして旧軽井沢地区というのかは情報があまりなく今でも謎のままです!(苦笑)


 

へぇー、日本人じゃなくて最初に避暑地だと宣言したのはカナダの人だったとは意外な事実だったなあ☆ここって観光もさることながらショッピング街も結構充実してるとか?


 そうそう、この町にも沢山の観光スポットが目白押しだけれども、ショッピングにも力をいれている地域だから、
ショッピングを楽しみに訪れる人たちもすごく多いんだよ。
その代表格と言える所が、バブル時期から賑わっている商店街を中心に広がる「旧軽井沢メインストリート」を忘れてはいけませんね☆
この名前は正式な名称であまり馴染みがないかもだけれど、「旧軽井沢銀座」と言われればぴんとくる人も多いだろうね!
この辺りは、中仙道の軽井沢宿が置かれていた地区で、そこに地域の特性を活かした商店街が立ち並ぶようになり、
特に夏場には首都圏はもとより中京圏からの多くの観光客ですごくにぎわう所なんだよ。
それにも増して、軽井沢はその後もペンションブームの追い風に乗って、この地区に夏中滞在する観光客も多いみたいよ!


 

それに、隠れたブームとしてこの町はゴルフ場も沢山存在していて、ゴルフの聖地と言われることもよくあるんだよ!
西部グループの手によって観光開発が急激に進んだ所でもあるから、今でも西部観光とは特に結びつきが深いらしいよ!
たんなる観光だけじゃなくて、ゴルフプランをセットにしたものや、ゴルフコンペなんかもしばしば行われているんだよ。
だから、ゴルフをたしなむ人たちの間でも、軽井沢を真っ先に挙げる人も多いんだよ。


 

浅間山を臨む景勝地と観光開発地区、軽井沢町。
そうそう、軽井沢という地名は長野県だけじゃなくて、秋田県の大館市、千葉県の鎌ヶ谷市、そして横浜市西区にも存在しているほど、全国的にも親しみやすい地名だね!
よく、群馬県の長野原町にある北軽井沢という地区も軽井沢の一部だと思い込んでいる人がほんとに多いみたいだけれど、
あれは軽井沢町よりも北にあって気候が似ていることからそう呼んでいるだけのことなんだよ!
夏は涼しいこの町も、冬は平均気温が7℃と北海道なみの寒さなんだって。ッヒャァー、ほんとに寒そう!!
軽井沢町に関する詳しい内容は、軽井沢町ホームページ へどうぞ。
観光案内とショッピング情報が目白押しのページです。軽井沢だけに、どのブラウザでもほんとにさくさく動きますよ!(笑い)


 

さらに、PC版サイトでは、こんなおまけも!自分も軽井沢へは行ったことはないですけど、 きっとこんなイメージなんじゃないかって思いをめぐらせてたら、こんな歌ができました。
コラム史上初となる、アカペラでの歌公開です!!
といってもまだまだ作りかけもいいとこなんですが、いつかはちゃんとした形で公開したいものです。

軽井沢イメージソング?


他の市町村へも行ってみよう!

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